lesso de blog

Life is once, forever..

僕の参院選@Hiroshima

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ネット選挙が始まったのが、ちょうど3年前の参院選からだ。

今回は前回の参院選とは全く状況は違う、って逆に一緒だと困るがね。

選挙権年齢が18歳へ引き下げられたのは勿論、新聞や広告のほか、各立候補者の情報収集をネットで行い、選挙演説をネット配信で生で聴いたりと少し当たり前な光景になりつつある状況。

 

前回の参院選は3.11の震災後、初の参院選挙で、争点が経済・社会保障原発TPP・雇用・憲法改正など。

今回の選挙で最大の争点は自民党主導の改憲勢力が、すでに衆議院で3分の2の議席を獲得しており、参議院でも3分の2の議席を獲得するかどうかである。

 

改憲はもはや避けられない。むしろ自身も改憲派であるが、自民党主導の改憲には反対である。

 

go2senkyo.com

 候補者乱立するも、ベテラン自民と民進議員が圧倒的な存在感

 

自民党が3分の2の議席を取らないようにするための一票を、自民党以外の当選確率が2番目に高い候補者へ投じることも可能だが、残念ながら政策や思想や主義に同意できる候補者はいない。一票を投じようが、投じまいが、もはや出来レース。選挙に行かないことを権利の放棄とするならば、その権利を放棄する権利もあっていいはずだ。

3年前の日記にこう書いていた。

「国づくりというのは政治家や官僚のみが行うのではなく、一般市民一人ひとりが行うものであるということ。福沢諭吉の“立国は私なり、公に非ざるなり”という言葉の意味を初めて心から知ったし、体感できたことが大きかった。」

選挙よりも大事なことがある。本当に世の中を変えたければ、まずは身の回りのことから変えるべきだと思う。独立国家つくって初代内閣総理大事になったっていいと思う。

ワカモノが選挙に行かなくても問題ない(吉田徹)|ポリタス 参院選・都知事選 2016――何のために投票するのか

 

冷やし中華はじめました。

 

ゆるく断捨離はじめました。

1.順番

順番はこんまり流を採用。このカテゴリ順に仕分ける。

Step1:衣類
Step2:本類
Step3:書類
Step4:小物類
Step5:思い出品

2.仕分ける

断捨離法で

「とっておくもの」

     「捨てるもの」

        「どちらかわからないもの」

              の3種類に仕分けする。

3. 1回目再仕分け

「どちらかわからないもの」のみ、再度仕分け。

「どちらかわからないもの」の量を半分に減らす。

4.2回目再仕分け
1回目の仕分けから30日程度置き、もう一度同じプロセスを繰り返す。


<仕分け後は「捨てるもの」を処分する>
1. ほしがっている人にあげる
2. 売れるモノは売る
3. デジタル化する

 

ってなことで、まずは衣類からゆるく仕分ける。

 

冬服はもう少し寒くなってからでいいかなと思い、今回は夏服のみを断捨離法で「とっておくもの」、「捨てるもの」、「どちらかわからないもの」の3種類に分けた。

 

「とっておくもの」はここ1年以内に2回以上着ている服を基準にして選び、それ以外を「捨てるもの」、「どちらかわからないもの」に分けた。

 

「捨てるもの」はリサイクルショップに持っていき、引き取ってもらえないものに関しては家族の部屋着なり、雑巾にしてもらうようにした。

「どちらかわからないもの」は一旦は30日程度、様子見する。おそらく「捨てるもの」そのまま移るのだろうけど。」

 

続いて、本類の仕分けに入るがなかなかはかどらず、結局小物や思い出品からすることにした。

 

小物は半年以内に使用していれば、「とっておくもの」にし、それ以外を「捨てるもの」に仕分けた。

 

思い出品は次回更新時にしたいと思う。

 

ミニマリスト?断捨離?的なノリではなく?

 3.11の震災から今年で5年、更に4月には熊本で震災、そして今月は豪雨による災害。

どこに居たって100%安全なところはない。返せばどこに住んだって同じみたいに捉えられかねないが…。

 

さて、タイトルにあるように物への執着をなくし、身軽になりフットワークを軽してシンプルに生きたいなと思うようになった。

ミニマリストの本は読んだけど、断捨離とかこんまりんさんとか読んでない。なのでそれがきっかけではない。

 

きっかけとして2つある。

1つは自然災害である。結局、物を持っていても災害に遭えば、その物たちはただの瓦礫にしかならない。

もう1つはダウンシフト、脱成長、里山資本主義、腐る経済、独立国家のつくりかたがここ2~3年、自分自身なかでキーワードとなってきている。

例えば、家に本棚を置かなくても図書館やiPadにはもっと大きな本棚があって、そこには数えきれないほどの本を収納しとくことができるし、1回読んでおしまいになる本なら図書館で十分だ

 

いろんな考え方があって当然だし、また気が変わるかもしれないが、

今はただ物にお金を使うのは、一見目にみえ形は残る物だけど、その物自体が今の24時間、7日間、1か月、1年間の生活の中でどれだけ人生に影響を与えているのだろうか。

ここでいう物は有形である。

 

5年前に買ったそのCDはこの365日のなかでどれだけ聴いたのか、そしてこれからのそのCDを聴くことはあるのか。そのCDを使わなくても、CDに入っている曲は容易にして聴くことが今はできる。

 

追い求めるもの、これからすること。

<追い求めるもの>

1.物を無くすのではなく、身の丈にあった物の量で心も部屋も余裕のある空間にすること

2.災害が起きても物が少ないので、それらの物を持ってすぐに場所を移すことができること。

極論、災害時は命以外必要な物はないのかもしれないけど、本当に必要な物だけを持ってすぐに避難できることに越したことはない。またすぐ避難できるということが、心への余裕にもつながる。

3.物を少なくしていく中で、何が今必要なのか。そしてこれからも必要なのかを知ること。

 

<これからすること>

1.ゆるく断捨離していくこと。(今年が終わるまでに)

2.もったいないの精神で工夫して物を減らすこと。

3.これらをブログに不定期に心境の変化などを記録すること。

 

 

matome.naver.jp

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365日前

はてなから1年前のブログを振り返えらないかときた。ちょうど1年前と1年が経ったということで、そのブログを見てみた。

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気づいた点は…

・1988年生まれは年号も彼らの歳と同じなので、考える必要がないw

・今という時間(感覚)はやはり1年前の今と変わらない。だけど、心境の変化はこの間、大いにあったように思う。

・旧暦を調べようと思ったきっかけが、新春なのに毎年全く春じゃねーよっていう違和感からくるものであった。その違和感によって知らなかった世界?は大げさだが、「知る」ことに繋がった。イコール、その違和感は正しかったと自分では解釈をしている。

私達が数年畑仕事をしながら感じてきた疑問についても、これで納得できました。うちの畑でも、花の咲く時期、虫や鳥の出現は、新暦にはまったくあてはまらず、旧暦の太陰太陽暦の方でぴったり合います。

 

日本古来の太陰太陽暦

・実家のトイレに飾ってある絵とその詩を書いた祖父が他界した。

・18才の誕生日を目前に愛犬が老衰のため他界した。

・看護の道を歩むことになった。

・2016年の今年、遂に私にも世帯を持つ段取りがついた。

実にどうでもいい振り返りだ。そのどうでもいい振り返りがまた365日後にどのような文を連ねているかが少し楽しみでもある。辛く悲しいこともあったし、良いことももちろんあった。私の意識の中で、当たり前だと思っていることがどれだけ大切なことなのかということも肌で感じることができた。生きてる実感ってこういうときにかんじるんだうなって…。

 

僕が祖父と共に生きた時間、愛犬と過ごした18年、全てがもう味わえない時間そんな感覚を私が偶有的に常に味わっていることを認識しながら生きていきたいと思った元日でした。

 

ジレンマは元日スペシャルが一番おもしろい。もう年に一回の議論でいいんじゃねと思うくらい面白いw

競争か共存か、人工知能(AI)とかいろいろ…。

9年前の君

 元日以来の更新である。この間、私は私の母の祖父との別れ、約18年間を共に過ごした愛犬ーー途中、進学や留学等で一緒には過ごしてはいないがーーとの別れを経験した。また今月に入って、父の祖父に前立腺がんが見つかった。当たり前だった日々の喪失や変化が続くなか、私は「時の流れ」というものを実感せざるを得ないのが現状だ。

 

 今回はその「時の流れ」に関連した内容にしたいと思っている。9年前の君というと、私でいえば19歳の頃だ。そして現在は縁あって、その当時と同じ年齢の人たちと関わる機会が多い。またそのことに付随して最近、看護領域における心理学で学んだ事柄がある。それはエリクソンの発達課題であり、なかでも青年前期(19〜22歳頃)の自我同一性(Ego-identity)の確立に関してである。

digitalword.seesaa.net

 

 私はふと、その自我同一性の確立にあたる時期とやらを回想していた。当時の私は、大人になった今とても実感するのだが、いい意味で世間知らずで恥知らずだった。それに加えて今以上に頭が悪かった…。正直者が馬鹿をみるような世の中は嫌だったし、みんなが平和で幸せに暮らせるようにしたい、またゆくゆくはそんな世界にすることが可能であると本気で思っていた。

 決して悪い意味では捉えていないが今思えば、全てが綺麗事である。今でいう意識高い系でもあった。完璧でないのに一丁前に完璧を装ったり、兎に角何かに対してリアルに充実したいが為に必死だった。私にはエリクソンの「自我同一性の拡散」というものはなかったかに思う、いや正確には自覚していないだけなのだが、それに伴う遷延の期間というものは「就活失敗」という挫折の経験のなかから発生している。

 エリクソンが言うように、私のアイデンティティの源泉はこの頃の経験が大いに影響していると実感する。私は周囲に恵まれており、様々な世代や国の人々と接する機会が多かった。そこで学んだ事は、ハイデガーの言葉でうまく説明がつく。私はハイデガーについて隈なく調べてはいないし、ハイデガーに関する本をかじった程度であるという事を前提に置き、あるブログでハイデガーの思想について説明している一文を見つけたので引用させていただきたい。

ハイデガー

取り敢えず彼の思想を一口に言えば、人間は必ず死ぬという自己の有限性を自覚して、自分に与えられた状況(人生)を決断と責任もって生きる、これが人間の本来的な生き方であるということである 

 

 私は、多くの大人たちに「人生の決断と責任」について、強く教わったと感じている。またそれが、今の私のアイデンティティの一部となっていると確信している。

 

 結局何が言いたいかって?「やるか、やらないかは自由。ただ、やると決めたならとことんやれ!」ということである。この思想が人生の全てではないが、実際にこの「決断」と「責任」で多くの経験ができたと思っている。

 

 ところで、なぜ唐突にブログを更新したくなったかというと、まずはカフェインの摂り過ぎで寝れなかったという点がひとつ。あとひとつは9年後の君が今の君に少しだけ、何か今後に役立つことがあればという老婆心からの衝動である。といっても9年後の君に劣る拙い表現と乱文乱用はお許しください。

 

私が9年前から現在においてハマり続けている

バンドを紹介して、今回はこの辺で終わりにしたい。


Sigur Rós - Svefn g englar - YouTube

 

何をはじめるにしても、一からの方がよいということ。

タイトルには特に意味を持たせてはないけど、今日が元日なので、それに因んで決めた。
意味は存在するはずだが、それを自覚すること自体は不可能なこと。客観や俯瞰視したところで、それを人間というレイヤー上で考えてしまえば同じだ。だから自己解釈する際は、意味自体を見つけることも、自覚することもできないから「意味がない」ということが「意味である」か、他の事を無理やり論理立てて決めるといった具合なのかもしれない。
 
それは置いといて、「お正月ですね。」
 
西暦2015年、12+2015-2000で平成27年。今という時間(感覚)は変わらないけど、西暦や年号が変われば、考えるための種が生まれる。過去の出来事の記録から生まれる記念日など。
 
そんな過去の出来事の記録から考えてみよう。

1873年12月3日は、日本で初めて西暦
太陽暦グレゴリオ暦)が採用され、
旧暦が廃止された日だ。

明治政府は、明治5年を12月2日で終わらせ、
翌3日を明治6年=西暦1873年の1月1日に
合わせることと定めた。

日本の暦が西暦に変わる(明治6年=1873年1月1日)

 
ということは、日本の歴史はというのは間違ったままのものがそのまま現在に至るまで記録されているということになる。
当時、この西洋化に倣って中途半端な変更および民への説明がなかったことに対して、異を唱えていたのが福沢諭吉という人間だ。

 

福沢諭吉は『改暦弁』という書物を出した。

 「自分(福沢)としては太陽暦の採用に
大賛成なものの、政府のやり方に大いに
不満を抱いた。暦の変更は一大事件である。
改暦を断行するには国民にその理由を知らせ、
新旧の暦の差異を丁寧に繰り返し説明して、
納得させる必要がある」 

 
違和感が生じているのであれば、誰かがやるのを待つだけではなく、自ら変化を起こす側になろう、と私も思うわけである。
 
こんな形で、本当の意味で今年ではないかもしれないが、今年一発目のブログのコウシンでした。
実家のトイレにある母方の祖父が書いた詩と絵をふと眺めながら急に思い立ったとさ。
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僕の福岡市長選

11月2日に公示され、福岡市長選が始まった。投票日は11月 16日(日)だ。前市長や元幼稚園教諭NPO共同代表など、様々な経歴をもつ立候補からなる今回の市長選。現在優勢といわれているのは現職の市長である。

まず、今回の顔ぶれについて

高島宗一郎39無現市長(自、公推)http://takashima.fukuoka.jp ]

吉田  宏58無元(元)市長 http://yoshida-hiroshi.net ]

嶽村久美子64無新(元)幼稚園教諭(共推)[ http://yaplog.jp/takemura/archive/1158 ]

北嶋雄二郎65無新(元)市議  [ http://www.y-kitajima.com ]

大川 知之37無新NPO代表理事 [ http://www.songen-project.jp ]

金出 公子元67無新(元)市議 [HPなし]

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最年少は37歳で、最年長は67歳。市長の任期四年も考えると、あまり高齢過ぎるのも比較的若い都市といわれている都市でこれからの市政を託す気にもなりづらいが、問題は歳ではない。

福岡市長選挙(2014年11月16日投票) 候補者一覧 https://seijiyama.jp/area/card/3624/f7msF2/M?S=lcqdt2odqi2k 

 

ところで、福岡市は何を改善し、より良い都市を目指すべきか。どこに問題点があるかに調べてみた。

f:id:lesso-effort:20131101174302j:plain※下記、記事にて拡大画像あり

福岡の人が気づかぬ魅力や問題点(前)~よそものから見た福岡:|NetIB-NEWS|ネットアイビーニュース http://www.data-max.co.jp/2013/11/02/post_16455_ib1746_1.html

福岡の人が気づかぬ魅力や問題点(後)~よそものから見た福岡:|NetIB-NEWS|ネットアイビーニュース http://www.data-max.co.jp/2013/11/04/post_16455_ib1746_3.html

 

■犯罪の多さ

下記の飲酒運転や交通マナーにも繋がるが、福岡市は中央区博多区が最も犯罪件数が多く、人口密度の割に犯罪が多いことで福岡県を全国ワースト3位へ押し上げている。

福岡県民必見! どの市町村や区が人口密度の割に犯罪発生率が高いのか? http://nousnou.net/2014/02/26/hanzai-fukuoka/

また女性人口が多いのか、性犯罪も多い・・・。

【画像】ワッフル店監禁集団暴行レイプ事件で新賢佑、伊牟田祐史、博多屋泰典を逮捕。ツイッターでは博多屋ワッフルズの強姦未遂の被害報告が多数流れていた事が判明。【福岡市天神強姦】 http://geinoujin-blog.net/blog-entry-1411.html 

 

■飲酒運転や交通マナー

自身含め、県外から来た人間からみた福岡の印象の一つにあがってくるのが車の運転の荒さかもしれない。また飲酒運転の問題も相変わらず撲滅には程遠い状態である。福岡市で起きた3児死亡飲酒事故は記憶に新しい。

 

■雇用

アベノミクスで?景気回復を受け、雇用が改善されつつある一方、収入の低い非正規労働者の比率が高まっている。福岡市でも非正規雇用率は、7月発表の就業構造基本調査によれば42.0%と全国平均の38.2%よりかなり高いとのこと。

 

■待機児童

 市は約83億円をかけて幼稚園で長時間預かる事業や小規模保育事業などを整備。今年4月1日、認可保育所に入れない待機児童が1日時点でゼロになったと発表。しかし、希望する保育所の空きを待つ「未入所児」は未だ1122人。待機児童の問題は呼び名を変えて、今もなお福岡市の課題として残されている。未入所児も全国ワースト入るのではないかな。 

2014福岡市長選挙候補者の保育行政への公開質問状への回答一覧 | 中央保育園移転問題(福岡市中央区今泉) http://fukuoka-hoikuen.com/iten/2014-shityousenkyo-kaitou/

 

上記、4点の問題に対して具体的な施策を持っており、且つ実行力のある候補者を選ぶべきかと思われる。去年の参院選から一年余り、今後も積極的に政治に参加しようと思う次第である。僕の福岡市長選。

 

その他資料:

福岡市政を破壊する高島シリーズ | データマックスのNETIB-NEWS(ネットアイビーニュース)

 

GOOD LUCK TO