lesso de blog

Life is once, forever..

9年前の君

 元日以来の更新である。この間、私は私の母の祖父との別れ、約18年間を共に過ごした愛犬ーー途中、進学や留学等で一緒には過ごしてはいないがーーとの別れを経験した。また今月に入って、父の祖父に前立腺がんが見つかった。当たり前だった日々の喪失や変化が続くなか、私は「時の流れ」というものを実感せざるを得ないのが現状だ。

 

 今回はその「時の流れ」に関連した内容にしたいと思っている。9年前の君というと、私でいえば19歳の頃だ。そして現在は縁あって、その当時と同じ年齢の人たちと関わる機会が多い。またそのことに付随して最近、看護領域における心理学で学んだ事柄がある。それはエリクソンの発達課題であり、なかでも青年前期(19〜22歳頃)の自我同一性(Ego-identity)の確立に関してである。

digitalword.seesaa.net

 

 私はふと、その自我同一性の確立にあたる時期とやらを回想していた。当時の私は、大人になった今とても実感するのだが、いい意味で世間知らずで恥知らずだった。それに加えて今以上に頭が悪かった…。正直者が馬鹿をみるような世の中は嫌だったし、みんなが平和で幸せに暮らせるようにしたい、またゆくゆくはそんな世界にすることが可能であると本気で思っていた。

 決して悪い意味では捉えていないが今思えば、全てが綺麗事である。今でいう意識高い系でもあった。完璧でないのに一丁前に完璧を装ったり、兎に角何かに対してリアルに充実したいが為に必死だった。私にはエリクソンの「自我同一性の拡散」というものはなかったかに思う、いや正確には自覚していないだけなのだが、それに伴う遷延の期間というものは「就活失敗」という挫折の経験のなかから発生している。

 エリクソンが言うように、私のアイデンティティの源泉はこの頃の経験が大いに影響していると実感する。私は周囲に恵まれており、様々な世代や国の人々と接する機会が多かった。そこで学んだ事は、ハイデガーの言葉でうまく説明がつく。私はハイデガーについて隈なく調べてはいないし、ハイデガーに関する本をかじった程度であるという事を前提に置き、あるブログでハイデガーの思想について説明している一文を見つけたので引用させていただきたい。

ハイデガー

取り敢えず彼の思想を一口に言えば、人間は必ず死ぬという自己の有限性を自覚して、自分に与えられた状況(人生)を決断と責任もって生きる、これが人間の本来的な生き方であるということである 

 

 私は、多くの大人たちに「人生の決断と責任」について、強く教わったと感じている。またそれが、今の私のアイデンティティの一部となっていると確信している。

 

 結局何が言いたいかって?「やるか、やらないかは自由。ただ、やると決めたならとことんやれ!」ということである。この思想が人生の全てではないが、実際にこの「決断」と「責任」で多くの経験ができたと思っている。

 

 ところで、なぜ唐突にブログを更新したくなったかというと、まずはカフェインの摂り過ぎで寝れなかったという点がひとつ。あとひとつは9年後の君が今の君に少しだけ、何か今後に役立つことがあればという老婆心からの衝動である。といっても9年後の君に劣る拙い表現と乱文乱用はお許しください。

 

私が9年前から現在においてハマり続けている

バンドを紹介して、今回はこの辺で終わりにしたい。


Sigur Rós - Svefn g englar - YouTube

 

GOOD LUCK TO