ミニマリスト?断捨離?的なノリではなく?
3.11の震災から今年で5年、更に4月には熊本で震災、そして今月は豪雨による災害。
どこに居たって100%安全なところはない。返せばどこに住んだって同じみたいに捉えられかねないが…。
さて、タイトルにあるように物への執着をなくし、身軽になりフットワークを軽してシンプルに生きたいなと思うようになった。
ミニマリストの本は読んだけど、断捨離とかこんまりんさんとか読んでない。なのでそれがきっかけではない。
きっかけとして2つある。
1つは自然災害である。結局、物を持っていても災害に遭えば、その物たちはただの瓦礫にしかならない。
もう1つはダウンシフト、脱成長、里山資本主義、腐る経済、独立国家のつくりかたがここ2~3年、自分自身のなかでキーワードとなってきている。
例えば、家に本棚を置かなくても図書館やiPadにはもっと大きな本棚があって、そこには数えきれないほどの本を収納しとくことができるし、1回読んでおしまいになる本なら図書館で十分だ
いろんな考え方があって当然だし、また気が変わるかもしれないが、
今はただ物にお金を使うのは、一見目にみえ形は残る物だけど、その物自体が今の24時間、7日間、1か月、1年間の生活の中でどれだけ人生に影響を与えているのだろうか。
ここでいう物は有形である。
5年前に買ったそのCDはこの365日のなかでどれだけ聴いたのか、そしてこれからのそのCDを聴くことはあるのか。そのCDを使わなくても、CDに入っている曲は容易にして聴くことが今はできる。
追い求めるもの、これからすること。
<追い求めるもの>
1.物を無くすのではなく、身の丈にあった物の量で心も部屋も余裕のある空間にすること
2.災害が起きても物が少ないので、それらの物を持ってすぐに場所を移すことができること。
極論、災害時は命以外必要な物はないのかもしれないけど、本当に必要な物だけを持ってすぐに避難できることに越したことはない。またすぐ避難できるということが、心への余裕にもつながる。
3.物を少なくしていく中で、何が今必要なのか。そしてこれからも必要なのかを知ること。
<これからすること>
1.ゆるく断捨離していくこと。(今年が終わるまでに)
2.もったいないの精神で工夫して物を減らすこと。
3.これらをブログに不定期に心境の変化などを記録すること。